あなたの隣の放射能汚染ゴミ
書名:あなたの隣の放射能汚染ゴミ
著者:まさのあつこ
出版:集英社新書2017年2月刊、740円+税
はじめに
第1章 すでにある放射能汚染ゴミ
第2章 放射能汚染ゴミのずさんな管理
第3章 誰が「8,000ベクレル」を持ち出したのか?
第4章 密室で決められた放射能汚染ゴミの再利用法
第5章 それでも放射能汚染ゴミを公共事業で使うのか?
おわりに
本書はなかなかの力作で示唆に富んでいます。汚染地域とそれ以外の地域に住む人々の被ばく限度の、憲法違反であるダブルスタンダード(二重基準)などを論理的に正当に指摘し糾弾しています。憲法違反のダブルスタンダードはいくつも存在しています。以下に著者の指摘で興味深く重要な点のいくつかを列記します。
[ダブルスタンダード]について
第3章のうち「基本方針で見える特別措置法の特徴」の項 この基本方針(放射能汚染ゴミ及び除染についての ページ111~112)に従うことは、線量の高い地域に暮らす人々に年20ミリシーベルト未満の被ばくを受忍させることである。一方、汚染地域以外の国民は、事故前と同じように被ばく限度年間1ミリシーベルトで守られている。これは明らかに二重基準(ダブルスタンダード)だ。憲法第14条の「すべて国民は、法の下に平等であって、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない」という条文に反している(ページ113)。
[避難か除染か]について
第4章のうち「廃棄物がいっぱい出る」の項 しかし、そもそも除染ではなく、避難という放射線防護策を選択すれば、住民を被ばくさせることもなく、今のような莫大な量の放射能汚染ゴミも出さずに済んだのだ。しかし、それについての議論はほとんど行われず、日本は除染政策へと突き進んでいった(ページ141)。
第4章のうち「帰還政策による除染の加速」の項 避難や移住を選択する人々もいる。問題は、除染が、政府の避難指示解除とセットで進められてきたことだ(ページ163)。
[学者は何をしたか]
第4章のうち「密室で決められる放射能汚染ゴミの再利用」の項 被ばくの危険性がある地域へ被災住民を帰還させる。そのために放射能汚染ゴミが莫大に出る除染を進める。この方針を実現するために、安全宣言をするWG(ワーキンググループ)を立ち上げ、放射能汚染ゴミを減容・再利用するWGもつくる。国民、とりわけ、被災住民を無視した環境省の政策は、このように水面下で着々と進んでいたのだ(ページ162)。
[政策の見直しについて]
第5章のうち「再利用計画の欠陥」の項 しかし、どれだけ政策の穴が見つかったところで、この8,000ベクレル/キログラムを公共事業で再利用する策を、国は止めようとしない可能性がある。日本は、原発問題のみならず、一つの政策が動き始めたらなかなか針路を転換できない国だからだ。その一因は、産学官が綿密に連携し、政策をつくり上げてしまうことにある。多少の問題が起きても、後戻りできずに問題を抱えたまま進んでしまう。ではどこに展望を見出せばいいのか。筆者は、それを「自治」の中に見出す(ページ182~183)。・・・・凝り固まった国の政策に風穴を開けるのは、このように「自治」の力なのである(ページ188)。・・・・「自治」に期待するのは、首長の意思で、国の政策から市民を守ることは可能であるという実例があるからだ(ページ200)。
[ダブルスタンダード]に対抗するには
第5章のうち「ダブルスタンダードに対抗する自治の力」の項 現在までに蓄積されたのは、多くのダブルスタンダードだ。汚染地域とそれ以外の地域に住む人々の被ばく限度のダブルスタンダード、クリアランスレベルのダブルスタンダード、放射線業務従事者とそうでない被ばく労働者のダブルスタンダード・・・・・。これらのダブルスタンダードを解消するまでには、多くの時間とエネルギーを要するだろう。しかし、少なくとも、自治によって、歯止めをかけることができることも分かっている。そして、その自治の主体は、この国に暮らす私たち市民一人ひとりなのだ(ページ209)。
第5章のうち「新潟県知事「原発の放射性廃棄物の基準及び取扱いと同じに」」の項 新潟県は基本方針に対する意見募集(パブリックコメント)に対しても、三点の意見を送っていた。一つ目は、指定廃棄物の基準や取扱いは従来から原子力発電所内で管理されている放射性廃棄物の基準及び取扱いと同じにすること。二つ目は、指定廃棄物の処理(収集・運搬・保管・処分)や、除染、仮置き場や中間貯蔵施設、最終処分場の確保などは自治体に責任を転嫁せず、国が担うこと。三つ目は、費用は国または原子力事業者が負担すること(ページ203~204)。
[環境省が悪なのか]
おわりにで 本文でも記したように、東京ドーム18杯分もの放射能汚染ゴミの最終処分場をつくるということは、用地確保の観点から、もはや現実的ではない。そこで考え出された「解」が、公共事業での再利用という方針だ。環境省は、ただ現状に即して実現しやすい解を導き出したに過ぎないとも言える(ページ211~212)。
[問題の根源]
おわりにで 問題の根源を遡れば、原発で過酷事故が起きるリスクを無視したことや、事故が起きた場合にどれだけの放射性物質がどこまで飛び散るかを想定しなかったエネルギー政策を放置した私たちの無責任に辿り着く(ページ212)。
[放射能汚染ゴミ対処方法]
おわりにで すべての放射能汚染ゴミを管理された状態で静かに寝かせ、時が過ぎるのを待つ政策がとられるように、これからも訴えていきたい(ページ215)。
これらの文章が著者の思いなのでしょう。私も共感します。本書の一読をお勧めします。
(文責 天野 光)
孤塁 双葉郡消防士たちの3・11
題名:孤塁 双葉郡消防士たちの3・11
著者:吉田千亜
出版:岩波書店 2020年1月刊 1,800円
プロローグ
1大震災発生 3月11日
2暴走する原発 3月12日
3原発構内へ 3月13日
4三号機爆発 3月14日
5「さよなら会議」 3月15日
6四号機火災 3月16日
7仕事と家族の間で 3月17日~月末
8孤塁を守る
エピローグ
あとがき
標題の「孤塁」とは、「ただ一つのとりで。比喩的に、一つだけ残った根拠地。」(広辞苑)とあり、ここでは地元の消防署のことを指しているのでしょう。
本書は、原発が爆発・暴走するなか、十分な情報もなく、地震・津波被害者の救助や避難誘導、原発構内での給水活動や火災対応にあたった福島県双葉消防本部の消防士たちの、聞き取りによるノンフィクションの物語で、未曽有の原発事故や大津波に孤軍奮闘した地元消防の苦難と葛藤が綴られています。一読に値する本だと思います。
「彼らは、地域の人々を守る消防士であり、また、生まれ育った地域を大切にしていた生活者だった。そして、原発避難を経験した住民でもあり、今なお、双葉郡の人々の命を守るために奔走する消防士である。」(8孤塁を守る から)
原子力施設の事故等緊急時には、各施設に設置されたオフサイトセンターが事故現地対策本部拠点となり、緊急時対応に当たる、というのが我が国での事故マニュアルでした。福島第一原発の場合は、オフサイトセンターは原発から4.9 km離れた大熊町に設置されていました。実際には通信網の途絶や放射線量の上昇等から、オフサイトセンターは全く役に立たなかったのです。
「原発事故は「起きない」とされていた。地域住民にも、双葉消防の消防士らが受けた研修でも、「事故は起きない」とされ、安全であることの説明は繰り返されていたが、起きることは想定されておらず、起きたあとに対応する事前説明も準備も足りていなかった。原子力防災訓練で行ったことのない「給水」活動も、消防が突如担った。」(6四号機火災 から)
「私は、事故を起こした原発から供給される電気を使い続けてきた関東の人間であり、そして「原発」を知らず知らずのうちに容認したこの時代の人間である。そして、癒えていない傷をこじあけてしまう取材者である。」(あとがき より)
(文責:天野 光)
原発危機 官邸からの証言
書名:原発危機 官邸からの証言
著者:福山哲郎
出版:ちくま新書 2012年8月刊、780円
福山哲郎さんは、福島原発事故当時の民主党政権で内閣官房副長官の職にあって、官邸における事故対応にあたっています。その際に官邸対応を「福山ノート」という走り書きメモで詳細に記録していました。本書はそのメモに基づき、当時の政府の事故対応を検証しています。記述はとても分かりやすいです。
内容は以下のように構成されています。
プロローグ
第1章「福山ノート」が語る官邸の5日間
初動、ベント、住民避難、水素爆発、海水注入、計画停電、東電撤退阻止
第2章 闘いの舞台裏
日米協議、SPEEDI、計画的避難区域
第3章 脱原発への提言
原子力防災体制、リスクコミュニケーション、未来への選択
エピローグ
あとがき
第1章では、福島原発事故発生後の緊迫した5日間のドキュメントが、官邸サイドから記されています。この章で菅内閣が原発事故炉からの東電撤退を阻止したことを自賛していますが、どんな内閣であれ、あの状況で東電の撤退を許容することはあり得ないことと思います。
第2章 2.SPEEDI の中で、「避難区域の設定や許容放射線量の限度をひとりやふたりの専門家の意見だけで決めるのは、事故当初からの専門家の対応を見てリスクが高いので、セカンドオピニオンとして頼りにするため、2011年4月に官邸内に「原子力災害専門家グループ」を発足させた」とあります。このグループは山下俊一氏、酒井一夫氏、長瀧重信氏(平成28年逝去)など8名で、やはり原子力村(原子力発電推進側)からの登用でした。セカンドオピニオンとして原子力専門家だけではなく、ドイツの「倫理委員会」のような社会全体に目を向けられるセカンドオピニオンも必要だったのではないでしょうか。
第2章 3. 計画的避難区域 の中で、年間20ミリシーベルトの基準作成に言及しています。「--事故は一過性に終わらず、ずっと続いていた。4月に入っても、原子炉の状況が必ずしも安定していなかったからだ。そのためICRP基準の緊急時20~100の最低値であり、事故収束後1~20の最高値に当たる20ミリシーベルトを計画的避難区域の基準とした。それが「20」の根拠だった。対象となる住民は1市2町2村の約1万人だった。」と記述されています。しかし、事故後9年が経過しても未だに緊急事態宣言が解除されず、年間20ミリシーベルトの基準が今も生き続けているのは納得できません。
第3章は、今後の我が国が進むべき道に関して示唆に富んでいます。「事故の教訓は未来に生かされなければならない。」、「どうすれば、原発がなくても暮らしていける未来の社会をつくれるのか、一緒に考えていこう。--- 今こそ脱原発を選択し、日本経済の再生につなげていく決断をしなければならない。決して未来は暗くない。脱原発と再生可能エネルギーは、日本経済再生の起爆剤となるはずだ。」等が記述されています。
エピローグで「現実を直視しよう。原子力行政は敗北したのである。-----敗北を認めずに高いコストをかけ続け、国民に不安という精神的負担をも与え続ける原子力行政に、日本もそろそろけじめをつけて、脱原発という未来を選択する時期が来たのではないだろうか---。」
という記述には、良心的な政治家としての反省が伺われます。
本書は官邸から見た原発危機の緊迫した状況を、分かりやすく記載していて、国家の危機管理という視点からも、一読に値すると思います。もしあの時が、原発を推進してきた自民党内閣だったとしたら、このような著書は出版されたでしょうか。福山さんの今後のご活躍を期待したいと思います。
(文責:天野 光)
毒砂
標題:毒砂
著者:安西 宏之
出版:デザインエッグ 2019年12月刊 1,848円(アマゾン扱い)
https://www.amazon.co.jp/%E6%AF%92%E7%A0%82-MyISBN-%E3%83%87%E3%82%B6%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%82%A8%E3%83%83%E3%82%B0%E7%A4%BE-%E5%AE%89%E8%A5%BF-%E5%AE%8F%E4%B9%8B/dp/4815016062/ref=sr_1_1?__mk_ja_JP=%E3%82%AB%E3%82%BF%E3%82%AB%E3%83%8A&keywords=%E6%AF%92%E7%A0%82&qid=1577524171&s=books&sr=1-1
内容
・本文 (目次はなし)
・郡山市街地空間放射線量測定結果(2015.5.24~8.19)
・「毒砂」あとがきに寄せて 山口幸夫
・遺作の出版にあたって 安齋千佳子
著者の安西さんは、早稲田大学教育学部を卒業後、福島県庁に行政職として勤務し、福島原発事故1年後の2012年に、定年をまたずして早期退職しました。退職後に自費で放射線測定器を購入し、郡山市内のあちこちを測定しました。その線量の高さに著者もびっくりしています。表題の「毒砂」はいうまでもなく「放射性物質」のことですが、2015年に郡山市内で空間線量率が測定高さ80~100cmで毎時0.4マイクロシーベルト以上の場所350か所以上の測定を行っています。
本書は、県職員がどのような気持ちでどのように仕事をしているかが興味深く記されています。また安西さんの脱原発の視点で福島原発事故の顛末や、原子力技術、原発事故についての考えや考察、県と国との関係、福島県の原発事故対応なども記されており、とても興味深いです。残念ですが安西さんは2017年7月に逝去されました。
「ぼくは20歳代でスリーマイル島とチェルノブイリの事故を目の当たりにした。そして原発事故は起きるものだ、つぎに起きるのが日本であり、福島であっても不思議ではないと考えるようになった。そして現実に2011年3月11日からの大地震、大津波、福島第一原発の大惨事と一連の災厄が続いた。あり得るとは思いつつ、それは宝くじの1等に当たるほどの確率と思っていたが、そうではなかった。」(本文109ページから引用)
「毒砂の存在を隠して帰還を奨励するこの国や県の無責任は必ず誰かが糾弾しなければならない。」(本文109ページ)
この本は当初は自費出版でしたが、要望が強く、現在では一般の方々も入手できるようになっています。
(文責 天野 光)
告発・原子力規制委員会ー被ばくの実験台にされる子どもたち
標題:告発・原子力規制委員会 被ばくの実験台にされる子どもたち
著者:松田文夫著
出版:緑風出版 2020年5月刊 1,800円
http://www.ryokufu.com/isbn978-4-8461-2008-5n.html
目次:
1 「てんまつ記」以降のてんまつ
2 1ミリシーベルトはどこに規定されているか
3 20ミリシーベルトは誰が決めたのか
4 20ミリシーベルトの根拠はあるのか
5 被ばくの実験台にされる子どもたち
6 まとめとおわりに
著者の松田さんは、今年(2020年)の3月まで原子力規制庁に勤務とのことで、役所がどのようなロジックで事態に対処するために法律や告示などを作成するかが興味深く記載されていると思います。
本書は、法律に規定のない20ミリシーベルトの基準を、なぜ人々に強制できるのか、という視点で書いたものである、とのことです。
1章、原子力規制庁での官製談合や業者との癒着を、松田さんが内部告発したその後の顛末が書かれています。
2章、1mSvは一般公衆に対する被ばく限度ということになっていますが、これは「一般公衆は(人工放射線に)被ばくしないことが原則、が正しい」という指摘は興味深いです。
法律や告示の読み取りからはそのようになるのでしょう。
3章4章、年20mSvという基準は、根拠もなく、法律には一切記載されていないという指摘は興味深いです。
ただ国が緊急非常事態宣言を発令し、ICRP(国際放射線防護委員会)が2007年勧告で提案した「緊急時被ばく状況」というのを設定し、年20mSvとしなければ、多くの住民が住んでいる福島市や郡山市といった都市も含め多くの場所を避難区域にしなくてはならない、といった事情があったと思いますが、こうしたことは本の中ではあまり強調されていないようです。
この場合もなぜ5mSvでなくて20mSvなのか、といえば年20mSvとしておけば、だいたいの場所は除染すれば居住OKとなる、という程度の付け焼刃的な判断だったのでは、と私は思っています。
年20mSvの場所に10年住めば、累積線量は200mSvとなり、実際はそんな線量にはならないといっても、こんな基準は言語道断と私は思います。皆さまもそうでしょう。
5章、松田さんの言う「福島の子供たちの甲状腺がん」についての放射性セシウムの影響については、私は今のところは良くわかりません。事故後の放射性ヨウ素等吸入による影響が大きいと思っています。
なお1ミリシーベルト、20ミリシーベルトの基準等については、京大原子炉実験所の今中哲二さんが詳しく解説しています。こちらも参考になさってください。
http://www.rri.kyoto-u.ac.jp/NSRG/etc/ kagaku2017-7.pdf
(文責 天野 光)
「放射線被曝の歴史」(準備中)
「作られた放射線安全論」(準備中)
「放射能と人体」(準備中)
「科学者は戦争で何をしたか」(準備中)
「放射能は人類を滅ぼす」(準備中)
「原発に挑んだ裁判官」(準備中)
「重水素とトリチウムの社会史」(準備中)
「原発事故はなぜくりかえすのか」(準備中)
(工事中)要約とリンク